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『天気の子』と『君の名は。』と、東京と地方。

2019年07月31日

新海誠監督の最新作『天気の子』を観たのですが、本筋とは特に関係ないものの、作品に描かれている地方と東京の関係が気になるところがありました。前作の「君の名は。」と比べながら考察してみます。

「天気の子」と「君の名は。」のネタバレ注意!

私は去年、「君の名は。」を留学先のボストンで初めて観た。 初めて観た新海誠作品は、評判通りの鮮やかな絵だった。キラキラした東京の街並みを観て、早くこの地を訪れたいと思った。

公開されたのは3年前、周りの友人がほぼ全員観たことがある中で、かなり出遅れてしまった。 「究極のデートムービー」とされたこの映画を観にいくようなシチュエーションに、どうしてもならなかったからだが。

東京に集まる日本

「君の名は。」を観てちょっと気になった点が、エピローグで、「最後は全員東京に住んでいる」という点だ。 違和感を感じたからではない。 むしろ、非常にリアルだ。 最近はほとんどの若者たちは、上京することに憧れるという。 伝聞調になってしまうのは、東京に住んでいる大学生の私は基本的に東京に来ている学生としか会わないので、私の経験にはバイアスがあるからで、広い意見を聞こうとするとテレビなどの情報しか入ってこないからだが。 こないだは、「月曜から夜更かし」で、大阪の若者たちでさえ、大阪に居座るよりも東京に出てきたい、という件が紹介されていた。 もちろん興味をひくためにこのようなテレビの話題には多少の誇張はあるだろうが、ほとんどの道府県の人口が軒並み低下する中、東京だけが人口が毎年10万人(ちゃんと調べたんだよ!w)を超えるの人口増加をしている様子をみると、傾向としては明らかなものだ。

東京にあらゆる仕事、エンタテイメント、設備、話題が一極集中している今、地方に住んでる方の気持ちは、東京に住んでいる私としては想像しかつかないが、「東京に移りたい」と思うのが自然なのではないか。 新聞、テレビ、映画を観ていても、話題のほとんどは東京や首都圏のことだ。 庶民の声の代表は夜の新橋駅前のサラリーマンだし、NHKは毎朝スクランブル交差点からの中継映像を見せるし、ゴジラはご丁寧にいつも東京を目指して上陸してくる。 ここに住んでいると違和感はないが、それはつまり無意識のうちに日本=東京と考えてしまっているからかもしれない。 正直、これにはあまり良い予感はしない。 東京に全て集まった結果、東京だけが巨大都市として成長し、首都圏の外はほとんど誰も住んでいないような田舎がずっと広がっているという将来像が容易に想像できる。 そんな空虚な土台に支えられた国は、あまりに脆く感じる。 具体的には、例えば農家が減っては自給率が低下し、あらゆる食料を輸入に頼らないといけなくなるだろう。 また、それこそゴジラ級の災害が首都を襲ったとき、東京を失った日本国を立て直すこと自体が不可能になってしまうかもしれない。 日本全国の豊かな有形無形の文化遺産も、失われてしまっては国としての文化も貧弱になってしまう。

断っておきたいが、私はこの問題に対して何かいいアイデアを持っているわけではない。 これを是正するために、積極的に行動する意思もない。 おそらく多くの人と同じように、「なんかマズそうだな〜」と思いながら、自分自身も東京で生活していくことしかできない。

「鶴瓶の家族に乾杯」が描きたいもの

それでも、映像作品になんとなく期待しているところはあった。 「地方暮らし」の良さを伝えるには、そこで活き活きと暮らしている人々を映すことが有効な手の一つだろう。 特にNHKは、このようなネタが多い気がする。 都市で生まれ育った人が、地方に移り住むことを「Iターン」と呼ぶらしく(全くターン要素がないので、この呼び方は意味不明だと思っているが)、東京から地方に移り住んでオフィスを開いた起業家のことなどもよく取り上げる。 この話題の筆頭といえば、「鶴瓶の家族に乾杯」だと思う。 毎週月曜、鶴瓶さんとゲストたちがある地方の町に突然訪れ、「ステキな家族を求めて日本中を巡る“ぶっつけ本番”の旅番組」だ。 私はこの番組が大好きで、「人の家にズケズケ上り込む鶴瓶が気に食わない」とたしなめる両親と楽しく言い争いをしながら、毎週ではないが観ている。 鶴瓶さんはこの番組のことを「ライフワーク」だと言っているらしいが、先日の放送でその言葉の裏の決意を感じた気がした。(あくまでも私の憶測だが) その日は青木崇高さんと、香川県の塩飽諸島を訪れていたのだが、青木さんが島民8人しかいない島に行くことになった後、鶴瓶はなんと島民が2人しかいない島のことを聞き、それを訪れる。上陸してからやはり鶴瓶はズケズケと軒先に上がっていき、ステキなご夫婦と無事遭遇できたのだが、そのご夫婦の子供の家族はやはり島を離れ、丸亀に住んでいるという。 その後訪れた島では、島民はずっとたくさんいたのだが、一人の小学生(中学生だったかも)に対して教員5人くらいで、50m走の計測をしていた。 なんでそんな大層な人出で一人の児童の体育の授業を、と思ったら、なんとその小学校の生徒がその一人しかいないのだと言う。

見捨てられた?糸守町

私はその時、先ほど書いた危機感を強く実感した。 このままいけば、鶴瓶が訪れた数々の町は50年後にはゴーストタウンになっているかもしれない。 それはまずい、何とかして色々な地域で暮らす家族たちの活き活きとした様子を紹介して、地方にも興味を持ってもらいたい。 移り住んでもらいたい。 もしそれが叶わなくても、せめてこんな人たちがかつてはいたんだと言う記録を、映像に残したい。 全て私の勝手な想像な上、だいぶ陰鬱になってしまい申し訳ないが、鶴瓶さんがこの番組を何十年も続けてきて、ライフワークとまで言い切る背景には、そのような意思もある気がしてならない。

こんなことを何となく考えていたからこそ、「君の名は。」のラストで、全員が東京に移住し、東京で三葉と瀧が運命の再開をする、という展開は非常に生々しく感じた。 恐らく、宮水神社の跡取りはいない。最近増えてきている、神主不在の神社の一つになってしまっているだろう。(四葉がきっと…と思っていたら、「天気の子」で東京の学校に通っている様子が登場していたので) 神社が彗星の被害を免れていたら、いや、ぶっ壊されていたとしても、「それでも私たちは諦めない」と前を向き、糸守町の再建と復興を目指す… というのが、「ありそうな展開」だろう。 新海誠監督自身が、「君の名は。」を作る上で東日本大震災に影響を受けたと述べているが、あの隕石が震災のモチーフだとしたら、社会的道義に即した穏便なシナリオは、復興再建ルートだろう。 しかし全員が、東京で、新たな、楽しい生活をそれぞれ歩み始める。

東京最高!

それでも「大丈夫だよ」と言い切っている作品なのだ。むしろ、みんなが何しらの形で持っている東京至上主義をこれほどまでに肯定的に描いているからこそ、あれほどまでのヒットとなったのかもしれない。Twitterでこんなことを言っている人がいた。

新海監督のすごさは美術だが、都会の風景の美しさを肯定的に描くということは上の世代には出来ない。
都会自体を資本主義の毒溜まりとしか思っていない宮崎駿には無理。
押井守は退廃的な都市の美しさは描けるが当然闇を抱えている。
庵野は都市と言うより鉄道網がある場所として描いているように思う

— 吉田創 プラウダ戦記2巻 8月23日発売 (@sabo666) July 23, 2019

新海監督の描く東京は、輝いている。たくさんの人が暮らして、それぞれの生活を送っていて、たまに神秘的なことも起きる。 東京が肯定的な舞台となるのは、確かに目新しいのかもしれない。

そして、天気の子。 「君の名は。」で、地方は地方で良さが描かれていたものの、「天気の子」では、地方は帆高が逃げる対象としてしか登場しない。 そして東京の風景は、これでもかというばかりに美しく描かれ、その中を陽菜と帆高は駆け回る。

アニメーション作品の効果といえば聖地巡礼だが、「君の名は。」と「天気の子」を観た後は東京全域が聖地のように感じられるようになった。 毎日をこの都市で過ごすのが普段よりさらに楽しくなっている。 普段から散歩は好きだが、今日は私も聖地巡礼をしてきた。

詳しい場所は調べずに自分の足で見つけてやる、と意気込んでたら一瞬で見つかった #天気の子 pic.twitter.com/pD2KQGTON1

— Yasu (@JeSuisYasu) July 31, 2019

陽菜が天気の子としての力を授かった、代々木会館だ。新宿から歩いていったのだが、その際も帆高が線路を駆けていくシーンを思い出さずにはいられなかった。 なんと、この翌日からこの建物の取り壊しが始まるらしい。 来年末にでもなればきっと、マツキヨが入った新たな雑居ビルにでもなっているのだろう。 「ここはかつて『天気の子』で描かれていた建物があって、屋上には社があったのよ」(実際はあの神社は創作だそうだが)と語り継がれるのだろう。そして、東京に新たな伝説ができる。

この感覚は、ポケモンGoが登場したての頃、夢中で街中を歩き回っていた時に似ている気がする。 あの時も、普段の風景が新鮮に見えてきて、いつも通り過ぎるだけだった街の様子を見直すようになった。 こんな街に住んでいて、ああよかったと思える。

天気の子のラスト。「きっと大丈夫。」と言いながら、二人は東京を雨に沈めてまで、一緒に生き続けることを決意する。 ここについてはすでに数多書かれているし、この決断にはもちろん賛否の意見があるだろう。

私にとっては、この身勝手な決断が最高に爽快だった。 もちろん、多くの人に迷惑(迷惑どころではない)をかけてしまっているだろう。 それでも、「大丈夫さ」と言い切り、我が物顔で人生を進めていくところに、世界の閉塞感を打ち破る感情を受け止めた。

なんだか新しい。なんと言っていいか分からない。 明確に言葉にしづらい感情だけど、それをありありと描かれると、説得力がある。 もっと自分勝手でもいいんだ。お行儀よくしている必要なんてない。現代なんて、最高じゃないか?

うん、もっと言ってくれ。


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